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Jリーグ・清水エスパルス チーム紹介

清水エスパルスの歴史!発足~初期~中期~現在

発足から初期まで

1993年の開幕時からJリーグに所属していたいわゆるオリジナル10の一つ。

静岡県静岡市(合併前の清水市)をホームタウンにします。

エスパルスの由来はSはサッカー、静岡、清水を表す頭文字でパルスは英語で心臓の鼓動を意味します。
そのため、英語表記ではS-PULSEとなります。

チームカラーのオレンジは静岡県がみかんの生産地であることが理由で愛媛FCと理由が同じですが、品種が違うのでエスパルスのオレンジ色の方が明るい色となっています。

クラブマスコットキャラクターは公募で選ばれたパルちゃんで「サッカーに要求される速さ、強さ、賢さをもち、かつ現代的で品格がある可愛く元気のよいキャラクター」 と紹介されていて、とくに具体的な動物をモチーフにしたわけではありません。

また、2012年にパルちゃんの彼女ピカルちゃん、妹的存在のこパルちゃんが誕生しています。

ピカルちゃんが彼女と判明したことでパルちゃんがオスだったことが判明しましたが、パルちゃんは妹的存在のこパルちゃんと同居しているんだとか。

Jリーグのマスコットの中でも有数の芸達者でダンス、ものまね、ギャグの使い手としてサポーターに愛されていて、北海道日本ハムファイターズのB,Bが最も影響を受けていると明かしています。

Jリーグ発足時は地元静岡県出身の日本人選手と陸上トラックが無いサッカー専用スタジアムがチームの強みであり、サッカー王国静岡の地力で成り立っていたとも言えますね。

清水東三羽烏と称された堀池巧選手、長谷川健太選手、大榎克己選手。

三浦泰年選手、澤登正朗選手ら地元静岡出身の選手に加えてゴールキーパーのシジマール選手が活躍し上位の常連チームでした。

1996年にはオズワルド・アルディレス監督が就任して、斎藤俊秀選手、伊東輝悦選手、森岡隆三選手をレギュラーに抜擢して攻撃的なサッカーを展開。

ナビスコカップ優勝を果たします。

しかし1997年運営会社が20億円の負債を抱えて親会社のテレビ静岡が撤退。

物流王手の鈴与商事が中心に営業権を譲り受けました。

身の丈に合った経営でチームを建て直すためにチーム人件費は縮小を余儀なくされて若手育成路線に変更。

もともと高校サッカーで積み重ねた経験値が静岡にあり下部組織は充実し、フロントの監督人事、選手補強も的確で費用対効果の高いチームに生まれ変わりました。

1999年はセカンドステージ優勝を果たし、三都主アレサンドロがMVPを受賞。

2002年には天皇杯優勝を果たしていますが、2001年にこけら落としされた日韓ワールドカップ会場のエコパスタジアムは5万人収容でしたが陸上競技場でありアクセスも悪くサポータから不評で2万人収容のサッカー専用スタジアムである日本平をホームスタジアムとして継続。

このワールドカップが行われるタイミングで大きなサッカースタジアムを手に入れられなかったことで、清水エスパルスはビッグクラブへの挑戦権を失ったと思いますね。

その後2005年まで無冠となり低迷。

中期から現在まで

低迷するチームを救ったのはレジェンド長谷川健太監督。

Jリーグ発足時のエースストライカーは現役時代の印象とは違い守備でチームを整えて安定した成績を残しつつ若手選手を育成していきました。

藤本淳吾選手、枝村匠馬選手、兵働昭弘選手、岡崎慎司選手、太田宏介選手などを中心選手に育てて上位をキープしました。

長谷川健太監督は就任1年目以外は6年間で4位~6位の間に居続けたもののタイトルは獲得できずに退任します。
この時期あたりからフロントが迷走を始めた感がありますね。

イラン代表のゴドビ監督が就任。

静岡サッカー界が生んだ天才・小野伸二選手、ストライカー高原直泰選手、パサー小林大悟選手をヨーロッパから獲得。

地元出身のスター選手獲得に沸きましたが、一方で藤本淳吾選手、枝村匠馬選手、兵働昭弘選手、岡崎慎司選手、太田宏介選手ら長谷川チルドレンと長年チームの中心だった伊藤輝悦選手、市川大祐選手を放出。

人件費を圧縮するために低い年俸で我慢しながらチームに残留してきた主力選手が小野伸二選手、高原直泰選手ら高年俸選手獲得でフロントへの不信感を爆発させた形となりチームは再び低迷します。

チームを救うためにアーセナルで活躍したスウェーデン代表のユングベリ選手を獲得しましたが、小野伸二選手、ユングべリ選手と旬の過ぎた運動量の少ないパサーが二人もいたチームにゴドビ監督は守備的なサッカーを展開させ、チームは迷走を極めます。

結局、小野伸二選手、高原直泰選手を輝かせることは出来ずに放出。

若手育成路線に切り替えますが、清水エスパルスユース最高傑作と呼ばれた攻撃的ミッドフィールダーの石毛秀樹選手をサイドバックで起用するなど育成手腕に疑問のあったゴドビ監督は選手と修復不能の亀裂が生じ、成績も低迷し解任。

そのご、大榎克己、田坂和昭氏が監督を務めるもチームを建て直すことが出来ずについに2015年チーム初のJ2降格。

2016年はJ2を知り尽くした小林伸二監督が監督に就任。

J2の資金力のないチームを堅実に頑張らせるタイプの小林伸二監督は、1年でJ1復帰に導きましたが、静岡サッカー伝統の華麗な攻撃的サッカーとは対照的なスタイルはサポーターには不評で翌年はJ1で15位となり残留が精いっぱい。

2018年はヨンソン監督が就任して守備的なスタイルを継続しつつもドウグラス選手の補強が当たり、ユース出身の北川航也選手が日本代表に選出される成長を遂げチームは中位進出を果たし、回復基調にあります。

というわけで清水エスパルスは攻撃的な静岡サッカーに守備戦術を加えたチームスタイルを植え付けている最中といえるでしょうが、大きな企業が絡んでいるわけでもなく、スタジアムのサイズも小さいので資金力が上がる可能性に乏しいので経営面で抜本的な改革がなければ、Jリーグの強豪に定着するのは難しいといえます。

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