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Jリーグ・鹿島アントラーズ チーム紹介

鹿島アントラーズの歴史!発足~初期~中期~現在

チーム発足から初期

1974年に創部した住友金属サッカー部が前身で茨城県の鹿嶋市を中心とした広域ホームタウンでホームスタジアムは県立鹿島サッカースタジアムです。

1991年にJリーグに開幕時から参加するオリジナル10ですが、加盟が認められたのが奇跡と当時は言われていました。

ホームタウンの小ささが主な原因でしたが、住友グループ、ホームタウンの熱意が凄く、当時としては珍しかったサッカースタジアムを建設し、ジーコを獲得してチームを強化したことが評価され、Jリーグ開幕に滑り込みました。

アントラーズという名称は英語で鹿を表します。鹿島神宮には神鹿というものがあり、鹿に思い入れのある地域なんですね。

また、マスコットキャラクターのしかお君は神聖な神鹿とは違うただの鹿をモチーフにしたと主張しています。

また、1997年にしかおは結婚したことでしかこが登場。メスの鹿だそうです。

また、しかおとしかこの間には1999年にアントンという子供が誕生していて2018年現在はマスコットキャラクターは3人体制となっています。

鹿は繁殖能力が非常に高い動物で毎年1頭、出産する動物で1歳になると出産しますのでさらにマスコットは増えていくかもしれません。

また、1993年から親しまれているしかおは2018年現在で25歳。平均寿命が6歳の鹿にしては例外的な長寿といえます。

人間の年齢に換算すると350歳なのでスタジアムで出会った際は大事にしてあげましょう。

1993年のJリーグ元年にはジーコ選手、アルシンド選手が中心となり1STステージを制覇。

人口が少ない鹿嶋市で異常な盛り上がりを見せて、鹿島スタジアムでのホームゲームはJリーグの心配をよそに最もチケット入手が困難でした。

地域密着、サッカースタジアム(陸上競技場ではない)というサッカーチームが成功する二つの原則をおさえていたことに加えて、象徴ジーコの存在が鹿島アントラーズを常勝軍団へ導いていきます。

1994年ジーコが引退するも代役として、後のブラジル代表キャプテン・レオナルド選手を獲得。

以後ジーコはフロントとして主にブラジルとのコネクション役を担いました。

1995年にはジョルジーニョ選手、1997年にはビスマルク選手を獲得してJリーグトップレベルの外国人選手が躍動しながらも、ともにプレーする日本人選手も成長。

1998年には名良橋晃選手、秋田豊選手、相馬直樹選手の3人がフランスワールドカップに出場を果たしました。

鹿島アントラーズはジーコスピリットとも称される勝ちにこだわった試合巧者さが強さの秘訣でチーム発足から4-4-2システムを軸にマンマークで守るという超基本的な戦術なんですが、とにかく勝ちます。

とくにリードした状態で相手陣内深くのサイドでボールをキープして時間を稼ぐプレーは「鹿島る」という動詞でJリーグファンから称されることとなり、技術、戦術以前のサッカーというスポーツで勝つための原則を伝統として引き継いできたチームといえるでしょう。

先制した試合での勝率はJリーグでも圧倒的に1番。

この影響はいうまでもなく、ジーコによるところが多く、他のJリーグ創世記にやってきたスター選手とは違ってジーコは日本サッカーを強くするという使命を持っていました。

鹿島アントラーズは外国人選手の力で勝つチームから、日本人選手を育成して足りないピースをジーコのコネクションを活かしブラジルから選手を獲得するスタイルへと変化していき、優れた日本人選手を多数育成!

2002年には秋田豊選手、小笠原満男選手、鈴木隆行選手、柳沢敦選手、中田浩二選手が日韓ワールドカップメンバーに選出されJクラブとしては最多となりました。

中期から現在まで

2003年にはジーコが日本代表監督に就任した影響で初めてチームを離れることになりました。

以降は住友金属の経営が以前のように上手くいかなくなっていたことで資金力で差をつけることが出来なくなり、ジーコも不在では以前のようなブラジル代表クラスの選手の獲得が無くなり、育成した日本人選手も海外に流出。

また、東北、関東圏のJリーグクラブが増えたことにより、地元のクラブが出来たサッカーファンが鹿島アントラーズから離れていき、観客動員数が減少。

Jクラブユースに人材が集まり高卒で有望な選手を獲得しにくくなるなど、もともとホームタウンの人口が少なく、ジーコと親会社に依存していた弱点が露呈されて以前のような強さは薄れていています。

2006年には小笠原満男選手、柳沢敦選手の二人がワールドカップメンバーに選出。

2010年には内田篤人選手、岩政大樹選手がワールドカップメンバーに選出

2014年には鹿島アントラーズからワールドカップメンバーは選出されませんでした。

この時期は東日本大震災で被災し、住友金属が鹿島アントラーズの投資に消極的になるなど我慢の時期だったといえますね。

しかし、状況は好転しつつあり2017年にはクラブワールドカップで決勝に進出。先発メンバーが全員日本人選手でレアルマドリードと互角の戦いを演じたものの延長戦で敗退。

この試合は国内外に鹿島アントラーズとJリーグの強さを印象付ける試合となり多くの称賛を浴びました。

2018年には昌子源選手、植田直道選手がワールドカップメンバーに選出されました。

元鹿島アントラーズ組では大迫勇也選手、柴崎岳選手も大活躍。

さらに、ジーコが16年ぶりにテクニカルディレクターに就任。

天皇杯、Jリーグカップ、Jリーグにおいて国内最多19冠を誇る常勝軍団はさらに強くなっていきそうです。

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