柏レイソルの歴史!発足~初期~中期~現在
チーム発足から初期
1940年に創部された日立製作所サッカー部を母体として1995年にJリーグに加盟。
千葉県柏市を中心に東葛地域をホームタウンとします。
レイソルという名前の由来はスペイン語で「レイ(Rey)」(王)と「ソル(Sol)」(太陽)を合わせた造語で「太陽王」を意味するそうです。
「太陽王」のごとき偉大さ、厳しさ、優しさ、親しみやすさを備え持つ チームになるようにという願いを込めて付けられました。
しかし、太陽王とは何なのか? は未だに謎に包まれています。
マスコットキャラクターである「太陽の王子」をイメージしたレイくんも人間なのか何なのかよく分かりませんが、このコンセプトの緩さも柏レイソルの魅力といえます。
チーム名の不明さが象徴するようにJリーグではトップレベルの人件費を誇りながらも、フロントのビジョンが定まらないため、浮き沈みが激しくフロントに現場が振り回されるたびに低迷を繰り返していくことになりますが、経営陣に振り回されて鍛えられている現場のスタッフは優秀で、たびたび現場が軌道修正を図りチームを浮上させています。
Jリーグ加盟から中位から下位をさまよっていたチームはロシアワールドカップで日本代表をベスト16に導くことになる西野明監督を1998年招聘。
元ブルガリア代表のストイチコフ選手を獲得、中盤のバランサー明神智和選手を主力に抜擢してチームの骨子をつくりあげると、翌年に韓国代表のセンターバック・ホンミョンボが加わりJ1で3位、ナビスコカップ優勝を成し遂げました。
2000年は年間勝ち点1位となり、黄金期が続くかと思いましたが、翌年、西野明監督は解任されチームは迷走します。
柏レイソルの意図が不明の監督人事は以降お家芸となっていきました。
5年で5回の監督交代が続いたものの低迷し、ついに2005年にはチーム初となるJ2降格。
中期から現在まで
低迷期を救ったのがJ2の経験が豊富な石崎信弘監督。
人望があり、ハードワークとフィジカルトレーニングを重視する石崎信弘体制はJ2で圧倒的な戦力がある選手達が90分頑張るという確実にある程度の結果が出るチームマネジメントを行いJ2を2位で終えてJ1に昇格。
2008年には天皇杯で決勝にまで駒を進めています。
J2経験が豊富な石崎信弘監督は練習を公開し、地元メディアとも良好な関係を築きサポーターとの距離を縮め、地域に愛されるという意味を理解していた監督という意味で新しい柏レイソルのクラブのあり方を作ったといえるでしょう。
しかし、2009年には石崎信弘監督を解任し、やはりこれが裏目に出てしまいJ2に降格。
J2に降格した柏レイソルはJリーグでの経験豊富な名将ネルシーニョ監督にチームを預けます。
資金力のあるチームがJリーグで結果を出した監督を素直に連れてくるというまともな監督選考を行ったことに加えて、この時期から柏レイソルの充実した下部組織から育ったタレントがチームの力となっていき、第2次黄金期を迎えます。
司令塔のレアンドロ・ドミンゲス選手、守護神の菅野考憲選手を軸にしつつユース出身の大谷秀和選手、酒井宏樹選手、近藤直也選手、工藤壮人選手が主力に成長したチームはJ2でシーズンわずか2敗と独走しJ1に昇格。
翌年にジョルジ・ワグネル選手、増島竜也選手を補強したチームはJ1で初優勝を果たしました。
J2から昇格して1年目の優勝はJリーグ初の快挙。
2012年に天皇杯優勝、2013年にナビスコカップ優勝、アジアチャンピョンズリーグ準決勝進出を成し遂げました。
2013年は無冠に終わりネルシーニョ監督は退任。吉田達麿監督に交代します。
この監督人事は個人的に悪くなかったと思っていまして、ネルシーニョ監督時代はユースも黄金世代で今後、柏レイソルの主力を担っていくであろうタレントが揃っていたのでユース監督も担当していた吉田監督が就任するのは自然な流れ。
育成年代で猛威を振るっていた柏レイソルのポゼッションサッカーをトップチームに導入し、地元出身の若手選手が躍動するサッカーをサポーターも心待ちにしていたのではないでしょうか。
吉田監督1年目はアジアチャンピョンズリーグで準々決勝進出。
J1は10位、天皇杯は準決勝進出と若手選手と新たなプレースタイルに着手した1年目にしては悪くはない内容と結果だったように思いましたが、シーズン終了後に監督交代。
ユース時代から信頼が厚かった吉田監督の解任はサポーターと特にユース出身選手からの反発を招く結果となり、工藤壮人選手、鈴木大輔選手が移籍しました。
2016年はメンデス監督が就任するも開幕3連敗でわずか3試合で監督交代。
柏レイソルユース黄金期を指揮した下平隆宏 監督を後任に据えると、中村航輔選手、中谷進之介選手、中山雄太選手やユース出身の若手が活躍し最終順位は5位にまで持ち直しました。
翌年は4位と躍進して若手育成、下部組織から統一されたチームスタイルの確立、結果とどれをとっても難しい3つの成果をあげます。
しかし、選手とフロントの関係は悪いままで特にユース出身の主力選手に対して金銭的な待遇が悪いとされ、せっかく育てた選手が放出されるという事態は続いていて、山中亮輔選手、茨田陽生選手、武富孝介選手、輪湖直輝選手、大津祐樹選手が相次いで退団。
将来を嘱望された柏レイソルユース黄金期メンバーは気づいたらほとんど移籍してしまっていました。
そんな陣容で迎えた2018年は数少なくなったユース出身の中心選手である手塚康平選手、中山雄太選手、中村航輔選手が怪我で離脱してチームは低迷し5月で下平監督は解任。
加藤望コーチが昇格しますが、事態はさらに悪くなりJ2降格の危機を迎えています。
というわけで定期的に謎の監督人事で低迷する柏レイソル。
サポーターとしてはチームは好きだけどフロントは・・・という愛憎半ばな気持ちがあることでしょう。
また、ホームスタジアムの日立台はサッカー専用で見やすさ、臨場感は最高でJリーグファンから愛されていますが、1万2000人程度の収容人数でアクセスも悪いので日立台がホームスタジアムのうちはビッグクラブへは成長できないと思います。