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Jリーグ・川崎フロンターレ チーム紹介

川崎フロンターレの歴史~チームの発足~初期~中期~現在!

チーム発足から初期

1955年富士通サッカー部として発足したチームは、富士通を親会社に1999年にJリーグに参加.。

中原区にある陸上競技場の等々力競技場をホームスタジアムとします。

2001年にヴェルディ川崎が東京に移転したことがきっかけで、川崎市のヴェルディファンがフロンターレに流れたこともチームにとっては追い風でした。

フロンターレはイタリア語で「正面」「前」を意味するので正々堂々前へ突き進むという意味のようです。

チームカラーが水色と黒なのはブラジルリーグの名門グレミオと業務提携していたので同じチームカラーにしています。

また、マスコットキャラクターのふろん太くん。

イルカをモチーフとして臨海都市の海とクラブが目指すスピードをシンボライズしています。

JFL時代は中西哲生選手、鬼木達選手らが中心となり、トゥット選手ら外国人ストライカーが活躍して1998年にJ2昇格を決めています。

1999年に元日本代表岩本輝雄選手を獲得しキャプテンに据えたものの、監督と衝突するなどキャプテンとしてうまくいかずに中西哲生選手がチームをまとめてJ2優勝を果たしています。

2000年はJ2優勝を果たしたの松本育夫監督を社長に昇格させましたが、実際は解雇に近く、副社長が実権を握っていました。

J2で活躍したトゥット選手を放出して鈴木隆行選手、マジーニョ選手などを補強しましたが、新戦力と既存戦力が融合せずにJ2降格。

その後、中西哲生選手や中心選手だけではなくフロントも大幅に入れ替わり1からのスタートとなります。

J2では石崎信弘監督が若手育成とハードワークできるチームをつくってベースを作りあげました。

伊藤宏樹選手、我那覇和樹選手、中村憲剛選手が成長。

また、運営会社を親会社の富士通の影響を減らし、川崎市とのかかわりを強め地域密着路線にかじを切りました。

ヴェルディ川崎が東京へ移転したこともフロンターレの地域密着路線を後押しする結果となり、この時期にチームの骨格が出来上がっていったと思いますね。

中期から現在まで

2004年、のちにロンドンオリンピック日本代表監督となる関塚隆が監督に就任。

中村憲剛選手の才能に惚れ込みトップ下だったポジションをボランチに下げます。

これはACミランのピルロ選手がトップ下からボランチにコンバートしてパサーとしての才能を開花させたのを参考にしたとのことです。

関塚隆監督の狙いは当たって中村憲剛選手は川崎フロンターレを牽引するゲームコントローラーに成長。

新潟からマルコス選手、ベテランの相馬直樹選手を獲得したチームはJ2を独走して優勝を決めます。

37得点を挙げたジュニーニョ選手が得点王に輝きました。

2005年以降、過去の反省を生かしてカテゴリーが上がっても大きく体制を変えずに臨みます。

我那覇和樹選手、ジュニーニョ選手の2トップを中村憲剛選手が操り、2006年は2位となりアジアチャンピョンズリーグ出場を果たしました。

その後も上位をキープして2009年リーグ2位となりアジアチャンピョンズリーグに再び出場しています。

上位に継続して顔を出しながらも優勝には至らず2位も多かったことからシルバーコレクターのレッテルも張られましたね。

この時期の川崎フロンターレは戦術的にはカウンターアタックが中心であり、奪ってすぐにスペースがあるうちに攻撃的なタレントが速攻。

遅攻になると中村憲剛選手にゲームメイクを任せるという印象ですね。

2011年に相馬直樹氏が監督として戻ってきてからも、チームスタイルは大きく変わりませんでしたが、2012年に風間八宏監督が就任したことをきっかけにチームスタイルは一変。

カウンターアタックからポゼッションサッカーへ変貌。

「ボールを失わなければ守備をする必要がない」「止める、蹴る、(相手を)外すを正確に早く行えばボールは失わない」など超攻撃的な思想は風間革命などど呼ばれ、サポーターにとっても当初はチームスタイルの変化には懐疑的な立場の方が多かったと思います。

しかし、風間監督の下でトレーニングをしているうちに大島僚太選手が成長をとげ、大久保嘉人選手がストライカーとしての才能を爆発させはじめると、中村憲剛選手はゲームメイクをほかの選手に任せてゴールに直結する崩しに関わる機会が増えました。

元々、育成にかかわっていた風間八宏監督は戦術というよりも技術、コンビネーションを論理的に突き詰めていくタイプで、圧倒的にゲームを支配して圧巻のコンビネーションプレーでシュートまで持って行くパスワークは他のチームとは一線を画していきますが、超攻撃的で守備、セットプレーの練習は基本的にしないという風間監督の方針が勝ち点の取りこぼしにつながってしまい、Jリーグ最高の攻撃を誇るもののタイトルには手が届かないという意味では以前と変わらないチームでした。

2017年にコーチだった鬼木達氏を監督に昇格させると、ボールを奪われてからの守備への切り替え、前線からの守備を加えて、勝ち点を効率よくとるチームに変貌を遂げました。

大久保嘉人選手がFC東京へ移籍したものの小林悠選手がエースに成長し、家長昭博選手が加わった攻撃陣は終盤に歯車がかみ合いJ1で優勝を果たしました。

というわけで風間監督が植え付けた土台のうえに鬼木監督が家を作ったようなチームになっています。

今後は中村憲剛選手が引退してもスタイルを継続できるかが注目ですね。

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